株式会社ビレモ|熊本のアサイゲルマニウム製品製造販売

記事詳細

DETAIL

2021年4月16日 ブログ

熊本地震の事 ~前震から本震まで~

今日で熊本地震の本震から5年が経ちました。

やっぱりこの時期になると当時の事を思い出してしまいます。

 

前震

2016年4月14日、夕飯の片づけも済ませ、私は市内北区にある自宅にいました。9時半近く、いつものようにそろそろお風呂に入ろうかな?という時間、経験したことのない激しい揺れが起こりました。長く大きな揺れに驚きましたが、静かになったのでテレビをつけて「びっくりしたねぇ」と子供と話しながら、心臓はドキドキ・・・取りあえず持ち出すものをバッグに準備しました。避難する事になったらお風呂に入れなくなるかも、と不安にもなって、急いでお風呂に入りました。壁にかけてあった額や高いところの壊れやすい物をおろして床に置き、その夜は何かあっても上から物が落ちてこない、逃げやすいという理由から、リビングに布団を敷いて休む事にしました。「固定電話が繋がらない」と、心配した県外の家族や親戚、知り合いから、携帯電話には次々に電話やメールが来ました。その後も静かになったかな?と思えば揺れがくる、の繰り返しでなかなか眠れず、テレビをつけたまま不安な夜を過ごしました。

 

15日00:17、子供の学校からは、臨時休校を知らせるメールが届きました。外が明るくなってきて、潰れた家屋や倒れた電柱などがテレビに映し出されると、震源地近くではこんなにも大きな被害だったんだ、と改めて驚きつつも、我が家は水道もガスも電気も無事だったので、私はとりあえずいつもの時間に出勤しました。事務所では、心配して下さったお客様やお取引先様からのお見舞いの電話が鳴り続け、弊社よりも北の地域には荷物が出せる状況だったので、通常通り出荷の準備など一日忙しく業務を済ませ、その日は出社出来なかった社員もいたので、結局18時まで勤務しました。帰宅後、実家の様子を見に行くと、我が家よりも被害はひどく、食器もかなり割れていて、トイレの窓枠はゆがんで動かなくなっていました。しかしその時は、定期的にくる揺れも、このまま少しずつ収まって静かになっていくのだろうと思っていました。

 

本震

自宅に帰ってテレビをつけると、新たな被害の状況が次々と映し出されていました。近くでも水の出ないところがあり、「お水を分けて欲しい」と連絡があったりもしました。翌日予定していたデパートの催し物の仕事は中止になり、明日はまた実家の片づけにでも出かけようかなと考えながら、念の為その日も布団の近くに、いつでも持ち出せるようバッグを置いて寝る事にしました。前日の睡眠不足があったのに、興奮状態だったのかなかなか寝つけず、うとうとし出して日付が変わった後の16日01:25、ドーンと音が鳴ったような気がして目が覚め、14日とも違う感覚で、突き上げるような揺れと恐怖に襲われました。

テレビがゆらゆらと台の上で横に移動していくのが見えましたが、立って抑えに行くことも出来ず、布団の上にじっと座って、これが現実なのかわからないような不思議な気持ちでただ見つめていたことを覚えています。家がミシミシと音を立て、揺れと揺れの間隔も短く、今度は本当に家が壊れて天井が落ちてしまうのではないかと“死”を意識しました。隣に住む両親の呼ぶ声や近所の方の声も聞こえ始めてようやく目が冴えて来て、ああ、現実なんだと改めて実感しました・・・

 

夜が明けた後の、落ちた物や壊れた物の片づけ、毎日続く揺れ、水や食料の不足、大渋滞、思い出はたくさんあります。今でもスマホから一斉に聞こえる緊急速報の警告音とヘリコプターの音は少々苦手です・・・

 

 

家族を失った方、住む家を無くされ今もなお仮設住宅にお住まいの方など、本当に被害の大きかった方に比べたら、私の体験はほんのわずかなものです。その後の報道などから、皆さんも災害時の備えに関しては、たくさんの情報を得られたことでしょう。私たちもそれぞれ社員の経験を今後に生かすべきだと考え、周りの方にもお聞きして、当時お客様へ定期的にお配りしていた健康情報新聞「げんき2016年夏号」にまとめました。経験して気づいた事、災害時に役立つ情報などを今回再編して掲載しておりますので、ご興味おありでしたら開いてみて下さい。

 

2016.06夏号 再編

 

当時はA3版で両面印刷して8等分に折りたたみ、冊子状にしてお配りしました。印刷はご自由に、非常用持出袋の隅にでも入れてご活用頂ければと思います。

熊本城 2014年1月2日撮影
被災前の熊本城 2014年1月2日撮影
Biremoの記事一覧